NHKの連続テレビ小説「ブギウギ」の橘アオイ(翼和希さん)がカッコイイと話題になっています。
橘アオイのモデルとなる人物は実在するのか気になっている方もいらっしゃいますよね。
そんな橘アオイのモデルは、水の江瀧子さんや柏木ハルエさんではないかと言われています。
今回は、橘アオイのモデルは誰なのか、水の江瀧子さん説・柏ハルエさん説について調べてみました。

ブギウギ橘アオイのモデルは?
水の江瀧子?柏ハルエ?
この記事を読まれている方はこんな疑問を抱えているのではないでしょうか。
- ブギウギ橘アオイのモデルは実在するのか
- ブギウギ橘アオイのモデルは水の江瀧子なのか
- ブギウギ・橘アオイのモデルは柏ハルエなのか
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ブギウギ橘アオイのモデルは実在する?男役がかっこいいと話題
2023年10月から、趣里さん主演の朝ドラ「ブギウギ」が放送されています。
男役トップとして活躍する橘アオイ(演:翼和希さん)が登場しますが、モデルとなる人物がいるのか気になりますよね。
橘アオイのモデル候補として、水の江瀧子さんと柏ハルエさんの名前が挙がっています。
どちらも笠置シヅ子さんと同じ松竹楽劇部に所属し、男役のスターとして活躍していた人物なんですよ。
また、橘アオイがカッコイイと話題になっていますが、演じているのはOSK日本歌劇団の翼和希さんです。
【翼和希(つばさかずき)】
・OSK日本歌劇団・男役スター
・大阪府出身
橘アオイが登場すると、
橘アオイ、カッコイイ!
今日もカッコイイ橘アオイを見れたー
と、SNSでも話題になっています♪


ブギウギ橘アオイのモデルは水の江瀧子
「ブギウギ」に登場する橘アオイのモデルの1人として、水の江瀧子さんがいます。
左から笠置シヅ子さん、水の江瀧子さん、小倉みね子さん、1939年帝国劇場公演『ストローハット』より。
— 小針侑起 (@peragoro22) October 21, 2023
笠置さんの付け睫毛に時代を感じるが、戦前〜終戦後は手製だったとか。
戦後でも時代が下るとレビュー用の付け睫毛、通称「おばけ睫毛」を使用していたそう。 pic.twitter.com/ql3JYwU4HI
【名前】水の江瀧子(みずのえたきこ)
【生年月日】1915年2月20日
【出身】北海道
水の江瀧子さんは「ターキー」の愛称で親しまれ、「男装の麗人」としても人気がありましたよ。
そんな水の江瀧子さんについて見ていきます。
生い立ち~松竹楽劇部へ
水の江瀧子さんは、1915年2月20日に北海道で生まれました。
出生時の名前は三浦ウメ子で、幼い頃は探検やチャンバラごっこで遊ぶなど明るく元気な女の子だったそうですよ。
水の江瀧子さんが松竹楽劇部へ入部したのは、お姉さんが勝手に入部試験に応募したことがきっかけでした。
何も知らずに試験を受けて、見事合格となる
その後、三浦ウメ子から芸名の「水の江瀧子」となり、舞台にあがります。
男装の麗人と呼ばれる
1931年5月「先生様はお人好し」では、髪を短くして舞台にあがっています。
この頃、男役は存在していたが
長い髪をまとめるだけだった
少女歌劇の中で史上初だったので、「男装の麗人」と呼ばれ注目を集める存在になっていました。
桃色争議~舞台復帰
1933年、労働条件の改善を求める「桃色争議」が起こりました。
水の江瀧子さんは桃色争議の中心人物だったので、謹慎処分になってしまいます。
謹慎後は復帰し、水の江瀧子さんが主演した舞台はどれも人気を博しました。
また、企業のCMに起用されるなど、大スターとして活躍していきますよ。
桃色争議についての詳細はこちらの記事を参考にしてくださいね♪


松竹少女歌劇団を退団、新たな劇団
1939年、水の江瀧子さんはファンの視線が怖く感じ、ノイローゼ気味になっていました。
治療のためにアメリカへ渡ることになります。
この頃、松竹歌劇部を退団していたが、
実際は休演扱いとなっていた
アメリカでは「ガイドホステス」として働き、その後は世界一周をするつもりでいましたが、第二次世界大戦の影響により断念することになります。
日本へ帰国後、松竹やその他の舞台に立っていました。
その頃、水の江瀧子さんのマネージャーをしていた松竹宣伝部の兼松廉吉さんと新しい劇団を作ります。
1942年 劇団たんぽぽを創設
そして、1943年に松竹を退団します。
映画やテレビ出演も
水の江瀧子さんは映画やテレビにも出演するようになりました。
数々のヒット作を出し、舞台化もされるなど好評でした。
また、1953年にはNHKのテレビ番組に出演し、1957年には紅白歌合戦の司会も務めていますよ。
プロデューサーとしても活躍
1953年に水の江瀧子さんは表舞台から引退しました。
その後、日活と契約し、日本で初めての女性映画プロデューサーとなります。
1984年になると甥・三浦和義さんが、妻が亡くなったことに関わっているのではないかと疑惑をかけられます。
水の江瀧子さんも「ロス疑惑」に巻き込まれてしまったため、1987年に芸能界から引退することになりました。
晩年
晩年の水の江瀧子さんは、宝飾のデザイナーとして個展も開いていました。
また、生前葬を行ったことでも話題になっていたと言います。
そして、2009年11月16日、水の江瀧子さんは亡くなりました。
死因は「老衰」で、年齢は94歳でした。


ブギウギ橘アオイのモデルは柏ハルエ
朝ドラ「ブギウギ」の橘アオイのモデルとなった人物に、柏ハルエさんの名前もあがっています。
OSKの男役スター柏ハルエさん(1枚目)、そしてアーサー美鈴さん(写真右端)。リアルなエピソードをほぼ伺ったことがないお二人だが、このお名前を見ると華やかな大劇公演初期、良き時代の大阪を彷彿とさせる。 pic.twitter.com/2UaTita9vG
— 小針侑起 (@peragoro22) October 21, 2023
【名前】柏晴江(かしわはるえ)
【生年月日】1913年11月16日
【出身】大阪府
柏ハルエさんも、男役のスターとして活躍していた人物ですよ。
柏ハルエさんについて詳しく見ていきましょう
生い立ち~松竹楽劇部
柏ハルエさんは大阪出身で1913年11月16日に生まれました。
女学校に通っていましたが中退し、昭和4年に松竹楽劇部に入団します。
その後、柏ハルエさんは男役として活動を行っていきます。


男役として本格的に売り出される
柏ハルエさんが男役のスターとして活躍していくのは、昭和8年の桃色争議のあとでした。
経営難に陥っていた松竹楽劇部は「大阪松竹少女歌劇団(OSSK)」と改名しています。
その改名後の第1回公演で、柏ハルエさんは男役として主演を務めます。
歌手デビューするなど、東京で活躍していた水の江瀧子さんに対抗して売り出されて行きます。
引退
柏ハルエさんは男役のスターとして大活躍していきますが、1938年に引退したと言います。
その後についての情報は特になし
引退後の柏ハルエさんの情報はなかったので、表舞台には立っていなかったのではないかと思われます。
何かわかりましたら追記していきますね!
まとめ
「ブギウギ」の橘アオイのモデル・水の江瀧子さんと柏ハルエさんについてまとめました。
「ブギウギ」橘アオイのモデルは「水の江瀧子さん」という説があります。
【水の江瀧子】
・1915年2月20日生まれ
・東京松竹楽劇部の男役スターとして活躍
・桃色争議では中心となって労働条件の改善を求めた
・退団後はプロデューサーとなり、俳優の発掘などで活躍
・表舞台を引退後は宝飾作家として個展を開く
橘アオイのモデルと言われている人物に「柏ハルエさん」の説もありました。
【柏ハルエ】
・1913年11月16日生まれ
・大阪松竹楽劇部へ入団し男役として活躍
・桃色争議のあと本格的に売り出され人気のスターに
・引退後の活動については不明
※2023年10月25日時点
橘アオイと、水の江瀧子さん・柏ハルエさんの類似点や相違点をまとめたものがこちらです。
水の江瀧子 | 柏ハルエ | |
---|---|---|
橘アオイと 似ている所 | ・男役スター ・短髪 | ・男役スター ・大阪松竹に所属 |
橘アオイと 異なる所 | ・東京松竹に所属 ・桃色争議の 中心人物 (橘は反対派) | ・桃色争議で 深い関わりがない |
「ブギウギ」のキャラクターは複数の人を参考にしているとのことなので、水の江瀧子さん・柏ハルエさんどちらの要素も入っているのかもしれません!
最後までご覧くださりありがとうございました。