NHK朝の連続テレビ小説「ブギウギ」の主人公・鈴子のモデル「笠置シヅ子」さん。
「ブギの女王」として知られている笠置シヅ子さんは過去、宝塚音楽歌劇学校を受けたことがあるようですが、不合格になっています。

若い頃から笠置シヅ子は歌が上手いのになぜ宝塚に落ちたの?
その後別の歌劇団で活躍できた理由は?
この記事を読まれている方はこんな疑問を抱えているのではないでしょうか。
なので今回は笠置シヅ子さんが、宝塚歌劇団の不合格についてや、大阪松竹歌劇団(OSK)で活躍できた理由についても調査しご紹介したいと思います。
- 笠置シヅ子が宝塚歌劇団に落ちた理由について
- 笠置シヅ子が大阪松竹で活躍できた理由について




笠置シズ子はなぜ宝塚に落ちた?不合格の理由
NHK朝の連続テレビ小説「ブギウギ」の主人公・鈴子のモデルで、「ブギの女王」として有名な笠置シヅ子さん。
笠置シヅ子さんをネットで検索すると「宝塚」と出てきたり、今回のブギウギでも「宝塚を受けたシーンがあるのか」という投稿もみられます。
笠置シヅ子は、幼少期から日本舞踊を習い、両親が経営していた銭湯で常連客などに歌やダンスを披露していました。
その為、母親から勧められ、1927年(昭和2年)に宝塚音楽歌劇学校を受験しています。
しかし、笠置シヅ子さんは宝塚音楽歌劇学校に落ちてしまいました。
なぜ、歌もダンスもうまく実力があったのに、宝塚に落ちてしまったのでしょうか。
体格検査に引っ掛かり、『小柄で極度の瘦せ型』という体型が、学校生活が耐えられないだろうという判断
実力があるのに、生まれ持った体型で跳ねられてしまうのは非常につらいことですよね。。
2023年現在の宝塚音楽学校でも、歌やダンス以外にも最終審査に健康診断があり、
身長や体重も審査されます。
笠置シズ子が大阪松竹で活躍できた理由
笠置シヅ子さんは、宝塚音楽歌劇学校に落ちた後、大阪松竹歌劇団(OSK)に入団し、その後活躍していますが、なぜ大阪松竹歌劇団で活躍できたのでしょうか。
笠置シヅ子の反骨精神、負けん気な性格を買ってもらえた。
笠置シヅ子は宝塚に落ちた後、大阪松竹歌劇団の生徒養成所に直談判に行ったそうです。
そして、音楽部長の松本四郎さんに
ワテは宝塚でハネられたのが残念だから、こうなったら意地でも道頓堀で一人前になって、どんだけ身体がちっちゃくっても芸に変わりはないってこと見せてやろうと思います。
と話したそうです。
この負けん気な根性と、反骨精神を松本四郎さんは買って、入団しました。
その後、「三笠静子」という芸名で、大阪松竹歌劇団で名を残し、最終的に「ブギの女王」になったという訳です。
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まとめ
今回はNHK朝の連続テレビ小説「ブギウギ」の主人公・鈴子のモデル「笠置シヅ子」が、過去に宝塚を不合格になった理由や、その後松竹歌劇団で活躍できた理由について調査しご紹介しました。
- 笠置シヅ子は幼少期から日本舞踊を習い親から宝塚音楽歌劇学校を薦められ受験しました。
- しかし宝塚音楽歌劇学校の試験結果は不合格。
- 理由は、「小柄で極度の痩せ体型の為、学校生活を耐えれないだろうと判断」
- その後、大阪松竹歌劇団に直談判しに行き、音楽部長に反骨精神を見せつけ入団しました。
不合格で落ち込むのではなく、負けん気を見せて結果「ブギの女王」にまでなったと考えると凄い逸材だったことが分かりますね。
ブギウギでも宝塚に落ちるところなどは描かれるのでしょうか。
気になりますね。
最後までご覧いただきありがとうございました。