らんまん岩崎弥之助のモデルは実在する岩崎弥太郎の弟!どんな人物だった?

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NHK朝の連続テレビ小説「らんまん」に大物実業家が登場したということで、2023年8月22日103話の回が話題となっています。

話題となっている実業家の名前は「岩崎弥之助」という人物ですね。

同郷のよしみで主人公を助けてくれたり、もしかしたら版元になるのではないか!!などX(Twitter)では話題となっていました。

そんな今後の関わりに注目されている「岩崎弥之助」がどんな人物かとても気になりますよね。

今回「岩崎弥之助」のモデルやその兄について調査しました。

らんまんの「岩崎弥之助」にモデルはいるの?
らんまんの「岩崎弥之助」の兄はどんな人物?

この記事を読まれている方はこんな疑問を抱えているのではないでしょうか。

\この記事を読んでわかること/
  • らんまんの「岩崎弥之助」のモデルとなった人物とその紹介
  • らんまんの「岩崎弥之助」の兄「岩崎弥太郎」についてのまとめ
目次

らんまん岩崎弥之助のモデルは誰?

らんまんで話題となっている実業家「岩崎弥之助」にはモデルはいるのでしょうか。

どんな人物だったのかも含めて調査しました。

らんまん「岩崎弥之助」のモデルは、

実在する人物で三菱商会(財閥)の二代目社長「岩崎弥之助」本人

そうなんです!!実在する人物なんです^^

三菱商会(財閥)の二代目社長という事で偉大な人であるのはわかりますね。

では一体どんな人物なのかを詳しく見ていきましょう。

岩崎弥之助は、

1851年(嘉永4年)
地下浪人の家の次男として誕生

三菱商会初代社長の兄「岩崎弥太郎」とは16歳年下とかなり年齢が離れていますね。

ちなみにらんまん主人公のモデル牧野富太郎とは11歳年上になります。

16歳の時に土佐の藩校である致道館に入学

実は藩の学校に地下浪人の家の子供は入学できません

しかしお兄さんの弥太郎がこの時、既に役人になっていたこともあり入学が許されたようです。

これ以降兄の期待や兄への恩返しなど考え一生懸命勉学に励みます!!

・必死に学校で学び続けて21歳でアメリカに留学

・わずか17カ月の滞在中で英語を完璧にマスター

・民主主義についても学んだ岩崎弥之助1873年(明治6年)に帰国

岩崎弥之助自身も兄と同じくとても優秀だったのでしょうね^^

その後も兄の弥太郎さんの右腕となるためにさらに努力をしていきます。

弥太郎さんをサポートするために三菱商会に入社

のちに副社長に就任

兄の弥太郎さんの死後34歳で三菱商会(財閥)の二代目に就任

※三菱商会では、その手腕で大きな力となっていき最終的には社長へ
※プライベートでは土佐の上士出身の政治家「後藤象二郎」の長女「早苗さん」とご結婚

とても人格者ですね。

ではらんまんの主人公万太郎のモデル「植物学者の牧野富太郎」と関わりは実際あったのか気になりますね。

調査したらとても関わりのある人物だったようなのでご紹介します。

「岩崎弥之助」が「植物学者の牧野富太郎」の多額の借金を肩代わりした

牧野富太郎さんは子供が13人もいて家計は非常に苦しかったようです。

理由は、

月給をはるかに超える金額を資料集めや植物図を描くための高価な道具に費やしていた

そもそも15人家族の生活費も月給だけでは足りてなかったようですね。

研究熱心すぎたのでしょうね・・・。それでも借金を繰り返し総額が、

現在の価値で、約3000万円から4000万円の借金
※ドラマでも描かれていた通り妻が借金取りの相手や苦しい家計を一手に引き受けていた

とんでもない額です!!

そこでこの負債を肩代わりしたのが「岩崎弥之助」ということのようですね。

実際はドラマと違い、富太郎さんは元土佐藩士で明治維新に関わった田中光顕(たなかみつあき)さんに岩崎弥之助を紹介されたそうです。

らんまんでは寿恵子と既に出会っているので寿恵子からの紹介で万太郎と出会う可能性が高いですね^^

https://twitter.com/asadora_nhk/status/1694198027093754013?s=20
岩崎弥之助のプチ情報

・1885年(明治18年)に兄の弥太郎が亡くなったことを受けて三菱商会の2代目社長に就任
※三菱の経営多角化に尽力

・1893年(明治26年)には三菱商会社長の座を甥の久弥(兄である弥太郎さんの長男)に譲る
※監務(相談役)の役職に就任
時系列的に恐らく富太郎はこの数年後(明治30年代前半頃)に負債を肩代わりしてもらえる

・1908年(明治41年)に57歳で亡くなる

<<その他経歴>>
・第4代日本銀行総裁
・貴族院議員などを務める
・兄(弥太郎さん)とともに土佐出身の代表的な実業家として名を残す

らんまん岩崎弥之助の兄・岩崎弥太郎はどんな人物だった?

岩崎弥之助の兄である「岩崎弥太郎」とは一体どんな人物だったのでしょうか。

調査した結果とても偉大な人でした。

「三菱商会を設立」日本有数の大実業家になった伝説の人
※明治維新において非常に重要な役割を担った経済人

ではどんな人生を歩んだのか詳しく見ていきましょう。

岩崎弥太郎の生い立ち

岩崎弥太郎は明治維新から33年前の天保5年(1835年)に「地下浪人」の岩崎家の9代目として生まれました。

<<地下浪人(じげろうにん)とは>>
土佐藩における身分の一種で、上士身分の浪人と区別してつけられた呼称

<<結果>>
上級武士から屈辱的な差別を受ける
農民から蔑まれるほど低い身分

以上のような環境での生活の為、極貧生活を幼少時代からしていた苦労人だったようです。

そんな中彼は持ち前の向上心と強い反骨精神で毎日猛勉強したようです。

幼少期〜14歳ごろ幼い頃から文才に恵まれる
・14歳頃藩主山内豊熈(やまうち とよてる)に漢詩を披露
・才能を認められる
安政元年 嘉永7年(1854年)・儒学者「奥宮慥斎(おくのみや ぞうさい)」の従者となる
21歳で江戸に遊学するチャンスを掴む
安政2年(1855年)駿河台にあった安積艮斉(あさか ごんさい)の「見山塾」に入塾
※安積艮斎は江戸末期の朱子学者
門人には吉田松陰や高杉晋作

・優秀な成績を収める
※両親は貧しい生活を中でも遊学費用の為先祖伝来の山林を売る
安政3年(1856年)・父親が酒の席で喧嘩をし投獄
・江戸での勉強を切り上げて土佐へと帰国
※自分も投獄されたがその最中も勉学を欠かさなかった
その後
吉田東洋が「蟄居(ちっきょ)」中の身でありながら開いていた少林塾に入塾
※蟄居:中世から近世、特に江戸時代に科せられた刑罰であり武士または公家が閉門のうえ、自宅の一室に謹慎させられることを指す

・少林塾には後に明治政府で板垣退助たちと活躍する土佐藩士の後藤象二郎も入塾

吉田東洋から才能を認められ一目置かれる存在となり土佐藩の役人になれる

<<岩崎弥太郎は後藤象二郎と吉田東洋との出会いによって出世していく>>

吉田東洋は身分など関係なく才能を求める人物です。

吉田東洋から才能を認められ、

岩崎弥太郎はその才能を遺憾なく発揮していくことになる

この出会いが岩崎弥太郎さんの人生においても大切な出会いとなり成功への道へと繋がっていきます。

岩崎弥太郎の出世の第一歩

岩崎弥太郎はその才能を発揮し成果をどんどん上げていきます。

開成館長崎商会という土佐藩の商組織の主任になる

貿易商人であるウォルシュ兄弟や武器商人のグラバー、クニフラー商会と海外との取引をしていきます。

こういった欧州の各商社との取り引きから岩崎弥太郎はビジネスの腕を磨いていったようですね!!

実戦での学びと天賦の才で周りからも認められ、その後も重要な役割を担っていきます。

ちなみに岩崎弥太郎は

海援隊の会計を任されていた

こんな事実もあるようですよ!!

坂本龍馬や渋沢栄一とも交流があり、明治維新において非常に重要な役割を担った経済人だったんですね。

岩崎弥太郎の三菱商会創業のあゆみ

明治維新後の政府は藩を無くすために藩営の事業を廃止しようします。

その動きの中で後に三菱商会となる商会を立ち上げることになります。

では三菱商会が出来るまでの流れを簡単にご紹介しましょう。

明治2年(1869年)10月に土佐藩の商組織土佐開成社(後の九十九商会)立ち上げ
※海援隊の土居市太郎と長崎商会の中川亀之助が代表
岩崎弥太郎は事業監督を担当

明治4年(1871年)に廃藩置県によって土佐藩官職位を失う

岩崎弥太郎は九十九商会の経営者となる
※九十九商会では貨客運行を開始
大きな利益をあげた岩崎弥太郎は鴻池や銭屋に抵当として抑えられていた藩屋敷を買い戻しする

明治5年(1872年)「三川商会(みつかわしょうかい)」に社名変更
※経営幹部であった川田、石川、中川亀之助の「川」の字をもとにした

明治6年(1873年)に三川商会は「三菱商会」に改名し、岩崎弥太郎個人の会社となる
※三菱のスリーダイヤモンドマークは、土佐藩主の山内家の三葉柏と岩崎家の三階菱の家紋を組み合わせてできたもの

以上の経緯で三菱商会が出来上がったんですね。

三菱商会となってからも岩崎弥太郎の力でどんどん急成長を遂げます。

三菱商会の急成長エピソード

<<エピソード①>>
海運業最大手は国有企業だったのは「日本国郵便汽船会社
横柄な態度であまり良い評判がなかった

三菱商会はお店の正面に「おかめのお面」を掲げる
※「店員たちがお客様に温和な顔つきで接しお客様に和やかな気分を与えるため」という願いが込められる

結果:お客に対してとにかく笑顔で接していた為、お客様本位だと好評を得る
※おかめのお面を見た福沢諭吉は「店内に愛敬を重んじさせるのは、近ごろの社長にはできぬこと。岩崎は商売の本質を知っている」と感心したと言われている


<<エピソード②>>
台湾出兵の兵隊を輸送する仕事を政府が依頼
※海外の船会社や日本国郵便汽船会社には断られていた

「国あっての三菱」と岩崎弥太郎は快諾

結果:翌年にはその功労として政府から大型船3隻を委託され三菱商会が持つ大型船は13隻となった
※三菱商会は新政府の軍需輸送を独占することで巨万の富を築く
※全国汽船総トン数の73%を手中に収めている
※海運業から多角化することで三菱財閥の基礎を築いた

岩崎弥太郎の最期

事業も軌道に乗り成功かに見えましたが、時代の波によって会社の危機となります。

・大久保利通が暗殺
※今まで長く三菱を支援してき人物

・最大の後援者だった大隈重信が失脚
※大隈重信と対立していた井上馨や品川弥二郎も三菱への批判を強め渋沢栄一も敵に回す
共同運輸会社と海運業をめぐって戦うことになる

結果:運賃は競争が始まる前の10分の1にまで引き下げられてしまう

この2つの事件によって岩崎弥太郎は大ピンチとなります。

そんな最中、

岩崎弥太郎は明治18年(1885年)2月7日に胃がんで亡くなる
※のちに三菱商会はダンピングを繰り広げた共同運輸会社と合併して日本郵船となる

志半ばで病魔に負けてしまいます。

本人が一番悔しかったでしょうね・・・。

この後を継いで社長となり立て直したのが「岩崎弥之助」ということになります。

差別を受けるほどの低い身分から一代で巨万の富を築いた岩崎弥太郎の人生は波乱万丈でしたね。

自分の力と才で道を開き人脈を作ることの苦労や努力は簡単には語ることはできません。

そんな偉大な兄を持つ「岩崎弥之助」が今後らんまんの主人公「槙野 万太郎」とどう関わっていくのか楽しみですね!!

きっと万太郎の力になってくれる存在ではないかと感じます^^

今後が楽しみですね♪

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まとめ

今回はらんまん「岩崎弥之助」のモデルや「岩崎弥之助」の兄「岩崎弥太郎」について調査しました。

調査した結果は以下の通りです。

・らんまん「岩崎弥之助」は実在する人物で三菱商事の二代目社長「岩崎弥之助」本人

・岩崎弥之助はらんまん主人公のモデル「植物学者の牧野富太郎」の多額の借金を肩代わりした

・兄の「岩崎弥太郎」は「三菱商会を設立」日本有数の大実業家になった伝説の人
※地下浪人の息子で差別され極貧生活を幼少時代からしていた苦労人
※幼少期から優秀
※明治維新中も重要な役割を担う

兄弟揃って本当に優秀な人物だったのが分かりましたね!!

この先「らんまん」にてどのように「岩崎弥之助」が関わってくるのか楽しみですよね^^

実在の「岩崎弥之助」も牧野富太郎を助けているので、らんまんの「岩崎弥之助」も何かしらのキーパーソンになるのは間違い無いでしょう!!

今後の「らんまん」も楽しみですね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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