NHKの朝ドラ『ブギウギ』が、2023年10月からスタートするとのことで楽しみですよね♪
主人公・鈴子が入団した梅丸少女歌劇団(USK)のモデルとなったのは、実在する「OSK松竹歌劇団(日本歌劇団)」です。
当時は大阪松竹歌劇部という名称でしたが、一体どんな劇団なのでしょうか。
今回は、梅丸少女歌劇団(USK)のモデル・OSK松竹歌劇団(日本歌劇団)の歴史や、宝塚歌劇団との違いについても調査しました。

ブギウギUSKのモデルは?
OSKと宝塚歌劇団は何が違う?
この記事を読まれている方はこんな疑問を抱えているのではないでしょうか。
- USK梅丸少女歌劇団のモデル
- OSK松竹歌劇団(日本歌劇団)の歴史
- OSK松竹歌劇団(日本歌劇団)と宝塚歌劇団の違いとは
ブギウギ鈴子が入ったUSK梅丸少女歌劇団のモデルは?
2023年10月2日から、趣里さん主演の朝ドラ『ブギウギ』が放送ですね。
ブギウギの主人公・花田鈴子は歌とダンスが大好きな女の子で、梅丸少女歌劇団(USK)への入団が描かれています。
そんな梅丸少女歌劇団にはモデルとなる劇団があるんです。
ブギウギ・鈴子は、戦後に活躍した歌手・笠置シヅ子さんがモデルとなっています。
笠置シヅ子さんは1927年にOSK日本歌劇団へ入り、舞台などで活躍していました。
「ブギウギ」のドラマのなかでは、道頓堀にある梅丸少女歌劇団(USK)として登場していますよ(^^)
「OSK日本歌劇団」は幾度も改称して今の名前になっています。
※OSK…大阪松竹歌劇団のこと




OSK松竹歌劇団(日本歌劇団)の歴史と変遷について
「OSK松竹歌劇団(日本歌劇団)」は、ブギウギの主人公・鈴子が入団した梅丸少女歌劇団(USK)のモデルです。
宝塚、松竹と並び、三大少女歌劇と呼ばれていたんですよ。
笠置シヅ子さんが入団した時の名称は「大阪松竹歌劇部」で、創設当時からは何度か名称も変わっているんです。
OSK日本歌劇団にはどんな歴史があるのかを見ていきたいと思います。
OSKの創設
OSK日本歌劇団は、1922年に「松竹歌劇部」という名前で誕生しました。
当時は団員の実力も人気もありませんでしたが、1926年「春おどり花ごよみ」で、日舞を中心とした舞台で転機が訪れます。
その後、宝塚少女歌劇団の影響を受け、洋舞を取り入れていくなどして知名度を上げていきます。
劇団名の改称
1934年以降、以下のように名前が変わっていますよ。
年 | 名称 |
---|---|
1934年 | 大阪松竹少女歌劇団(OSSK) |
1943年 | 大阪松竹歌劇団(OSK) |
1957年 | 株式会社大阪松竹歌劇団 |
日本歌劇団(NKD) | |
1970年 | OSK日本歌劇団 |
1934年、大阪松竹少女歌劇団(OSSK)と名前を変更し、大阪劇場(千日前)を本拠地とします。
そして、1943年、名称を大阪松竹歌劇団とします。
戦争の時期ということもあり、大阪大空襲で劇場がなくなるなどの被害を受けましたが、残った大阪松竹座で公演を行うなど活動を続けていきます。
その後、1957年に「株式会社大阪松竹歌劇団」とし、松竹から独立しました。
同じ年に「日本歌劇団(NKD)」に名前を変えましたが、「OSK」の名前が浸透していたため、「OSK日本歌劇団」となりました。
低迷~歌劇団の解散
1970年以降、OSK日本歌劇団は近鉄グループの子会社に入りました。
1980年代はミュージカルが人気となっており、ダンスを得意とするOSKはどんどん低迷していきます。
その裏では、宝塚歌劇団のミュージカル「ベルサイユのばら」などが大ヒット
1982年の公演「楊貴妃」は好評だったものの、常打ち公演(一定の公演)とはなりませんでした。
1990年代からはミュージカル路線に転向していき、2000年代に入ると「闇の貴公子」が人気を博しました。
この頃、親会社の近鉄グループの業績が悪化。
OSKは公演回数が激減、近鉄からの支援は打ち切りとなり劇団は解散へ。
OSKの団員達は存続のために動いていましたが、努力は報われませんでした。
そして、「Endless Dream~終わりなき夢~」をもって、OSK日本歌劇団は解散(2003年5月)となりました。
復活~創立100周年へ
活動を続けていた劇団員たちは、2003年8月に「株式会社OSK存続の会」を立ち上げています。
2004年「春のおどり」を「NewOSK日本歌劇団」として復活公演をおこないました。
2009年「OSK日本歌劇団」となり、
株式会社として独立
復活してからは、2011年に東京で8年ぶりの公演を行い、その後も大阪、京都などで公演を開催していきます。
そして、2022年には「OSK日本歌劇団」は、創立から100周年を迎えています。
OSK松竹歌劇団(日本歌劇団)と宝塚歌劇団の違いについて
朝ドラ「ブギウギ」の梅丸少女歌劇団(USK)のモデルになった「OSK松竹歌劇団(日本歌劇団)」と宝塚歌劇団とは、どのような違いがあるのでしょうか。
OSK日本歌劇団と宝塚歌劇団との違いについて見ていきます。
本拠地・公演
OSK日本歌劇団と宝塚歌劇団とでは、本拠地や公演スタイルが異なります。
<OSK日本歌劇団>
【本拠地】
何度か変更
※現在は大阪市
【公演スタイル】
春と秋の公演以外はフリー公演
<宝塚歌劇団>
【本拠地】
兵庫県宝塚市
※創設から変化なし
【公演スタイル】
・宝塚大劇場・東京宝塚劇場
・その他、全国ツアー
OSK日本歌劇団は、春・秋の公演以外に大阪を中心に小規模での公演を開催していますよ。
宝塚歌劇団では、宝塚と東京の劇場での本公演や全国ツアーも開催しています。
受験資格
劇団に入団する受験資格にも違いがありました。
OSK日本歌劇団 | 宝塚歌劇団 |
---|---|
・15~23歳未満の女性 ・身長158㎝以上 | ・15~19歳の女性 ・未婚 ・容姿端麗 ・宝塚歌劇団の舞台人に適する人 |
OSK日本歌劇団と宝塚歌劇団では、年齢の幅が異なっていますね。
宝塚歌劇団は、受験のときに中学卒業・高校卒業(又は在学中)という条件も入っています。
また、容姿についての記載もあり、入団するのは狭き門と言われていますよ!
組み分け
宝塚歌劇団では、「花」「雪」などの組み分けがありますが、OSK日本歌劇団では組み分けがありません。
OSK日本歌劇団 | 宝塚歌劇団 |
---|---|
組み分けはない | 花組、月組、星組、 宙組、雪組 |
宝塚歌劇団は1組80人くらいの出演ですが、OSK日本歌劇団は20~40人(公演で違う)と少人数の舞台となっていますよ。
トップの確立や娘役
宝塚歌劇団では、トップスター・トップ娘役が存在し、それぞれが主演・相手役を務めます。
OSK日本歌劇団では、今まで娘役の頂点が確立されていませんでした。
娘役についても、OSK日本歌劇団と宝塚歌劇団で違いがありますよ。
娘役 | OSK日本歌劇団 | 宝塚歌劇団 |
---|---|---|
入団からトップになるまで | 約10年 | 約3~6年 |
宝塚歌劇団では早い段階で娘役のトップとなることが多いと言います。
でも、OSK日本歌劇団では入団から10年くらいが平均だそうですよ。
ラインダンス
OSK日本歌劇団も宝塚歌劇団も、定番と言われているラインダンスに違いがあります。
【OSK日本歌劇団】
・足をあげる回数や速さにこだわりがある
・スターの登竜門とする
【宝塚歌劇団】
・スターはあまり出演しない
OSK日本歌劇団はラインダンスにこだわりを持っていて、若手スターの登竜門として力を入れている演目です。
一方の宝塚歌劇団では、スターはラインダンスに参加することがあまりないそうなんです。
フィナーレ
公演のラストでは、OSK日本歌劇団・宝塚歌劇団ともにフィナーレとして出演者が登場します。
【OSK日本歌劇団】
・番手の順番で出演者が登場
・桜咲く国を合唱
・傘回し「桜パラソル」が行われる
【宝塚歌劇団】
・エトワールを合唱
・番手の順に出演者が登場
・大階段から降りてくるのが特徴
それぞれの歌劇団でフィナーレの演出が違っていますね。
観客と出演者が一体感に包まれるパフォーマンスなので、楽しみにしているファンも多いとのことですよ♪
まとめ
NHKの朝ドラ「ブギウギ」に登場する梅丸少女歌劇団のモデル・OSK松竹歌劇団(日本歌劇団)の歴史や宝塚歌劇団との違いについてまとめました。
ブギウギ・主人公の鈴子が入団した梅丸少女歌劇団(USK)は「OSK松竹歌劇団(日本歌劇団)」がモデルです。
OSKは、創設から何度も名前を変え、一度は解散したものの復活し、2022年には創立100周年を迎えました。
年 | 名称 |
---|---|
1934年 | 大阪松竹少女歌劇団(OSSK) |
1943年 | 大阪松竹歌劇団(OSK) |
1957年 | 株式会社大阪松竹歌劇団 |
1957年 | 日本歌劇団(NKD) |
1970年 | OSK日本歌劇団 |
OSKと宝塚歌劇団の違いは次の通りです。
<OSKと宝塚の違い>
・本拠地や公演スタイル
・受験資格
・組み分け
・スターの確立や娘役
・ラインダンス
・フィナーレ
ブギウギ・梅丸少女歌劇団(USK)のモデル・OSK松竹歌劇団(日本歌劇団)は様々な困難を乗り越えた長い歴史のある歌劇団でした♪
最後までご覧くださりありがとうございました。